恥ずかしくて消したくなるような過去記事もいつかはきっと思い出になる

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過去の記事を読むと恥ずかしくなる、みたいなことを書いたことがあります。いや、もしかしたらTwitterでかもしれないし、他のブログでかもしれません。どちらにしても、これ本当にそうなんですよ。3日前に食べた夕飯が思い出せないように、3日前に書いた記事の細かな内容なんて基本的に覚えてません。それだけに、ふとしたときにちょっと前に書いた記事を読むと赤面してしまいそうになります。

ブログの過去記事

自分の書いた記事の内容を覚えてないなんて無責任な話ですが、一応書いたそのときは自信を持って投稿してます。なので、誰かにおらおら言われてもちゃんと説明する心構えもあります。ぼくがここで言ってる「恥ずかしい」とは間違ったことや怒らせることを書いてしまったという話ではなくて、今の自分の考え方とか書き方と過去の自分がまったく違う、そのギャップに対してです。

3ヶ月ごとに人間を構成する分子がすべて入れ替わってるという動的平衡のように、見た目は変わらなくても考え方も書き方も日々進化か退化して変化してるはずです。でも、1日単位では微量で普通にしてると気づかないから、知ったときにはもう遅いんですよね。

Google Analyticsのリアルタイムを眺めてると、いろんな記事が流れてきます。「ああ、こんなの書いたなぁ」みたいなのもいっぱいあります。WordPressの「投稿を検索」を使って、ふとそんな記事を見返したりすると、どこから編集したらいいのかわからないくらい、もう記事ごと消してしまった方がいいんじゃないかとさえ思ってしまうようなのもあるんですよ。たぶん、こういう経験はブログをやってる人なら誰にでもあると思うんですね。

いろんなことを書いていても、どこかで統一感みたいなものがほしくて、だけど実際はぐちゃぐちゃで、過去にはああ言ってたのに、今はこう言ってる自分とかがいることに嫌悪感を感じます。まあ毎日ブログを書いてれば、昨日の自分よりも今日の自分、今日の自分よりも明日の自分の方がいろんなことがうまくできてるだろうし、毎日情報が流れ込んでくるので、変化していくのはどうしようもないんですが。

ただ、今こうやってしてるうちにも誰かがそういう過去記事を読んでるわけです。なら、その恥ずかしい黒歴史をポチッと消してしまえばいい話なんですが、そんなことをしてしまったらアクセスが減っちゃうから、消す勇気はないんですよね。このジレンマに名前をつけてやりたいくらいです。とまあ、そんなことを今も考えてるし、これからも考えずにはいられないんですよ。

最近も、3年前に書いてたブログの記事をたまたま読んだら、それはもう気恥ずかしかったです。いろいろ悩んでるし必死だし若いし。でも一方で、不思議と微笑ましくもあって、心地よかったんですよね。なんというか、自分の中で思い出みたいになってたんですよ。

これが数週間前とか数ヶ月前だとそうはならないのに、数年前となると書いておいて残しておいてよかったと思えるんだということに気づいたんです。そもそも考え方とか書き方が変わっても、必死さや熱量はそのときだって同じくらいあったかもしれません。そういうものを残しておくのって、なんかいいなぁと。

だから恥ずかしくても消したくなっても、残しておくことも大切なんだとわかったら、かなり忍耐力がつきました。まだ「うぎゃー!消したい」という衝動に襲われますが、我慢してます。前よりは楽な我慢です。みなさんも「これは消してしまいたい!」という記事を残しておくと、きっとよかったなぁと思える日がきますよ。

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