偏見だけでなにかを批判するのは、違うんじゃないか

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真意はどうであれ、元国務長官のヒラリー・クリントンが、マイアミでの演説でネットの接続は「基本的人権」と言ったのは、時代の流れを感じます。今やインターネットなしに生活することなど、ぼくには考えられません。

一方で、この流れをよく思っていない人たちもいます。その多くはそもそもインターネットがどんなものなのかすら理解できているのか疑問です。たとえイメージできていても、体験していなければ本当の意味での理解は難しいでしょう。

それなのにむやみやたらとインターネットを批判する人たちがいます。インターネットに限ったことではありません。ぼくは批判自体が悪いと言っているわけではなくて、深く考えようともせずに、知ろうともせずに、他の意見を真摯に聞こうともせずに、ただ批判するのは違うんじゃないかとおもうんです。

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偏見からの批判では、どうしようもない

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最近、「ブログでお金を稼ぐ仕組みについてわかりやすく解説します」でも少し触れましたが、「仕事はなにしてるの?」と聞かれて「ブログをしてる」と答えると、高確率でよい反応は返ってきません。

世間でのブログのイメージは、「ただ日記のような趣味感覚」とか「某ブログサービスで芸能人が書いてるような感じ」じゃないでしょうか。たしかにそれもまたブログのひとつの形です。

しかし、他にもいろんな形があります。食、クレジットカード、ガジェット、マンガ、ゲームなどの中からテーマをひとつに絞った専門的なブログ。もしくは、ぼくのブログのようにさまざまなテーマを扱った雑記ブログ。

もはやブログは日記としてではなく、情報を提供する雑誌や新聞のような役割も担っているわけです。インターネットを頻繁に使っている人であれば、それは実感しているはずです。

ヒラリー・クリントンが言うように、インターネットは「基本的人権」になりつつあります。それにも関わらず、偏見だけでブログをバカにしてしまうのは、情弱としか言いようがありません。

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アニメやマンガも批判の対象になりやすいと日頃から強く感じます。「あんなものばかりにいつまでも興味を持って、大丈夫か」と心配している大人はたくさんいますよね。その根底には、「小説は芸術作品で、アニメやマンガは幼稚なもの」みたいな心理が働いているのでしょう。

そんな大人は決して知らないでしょうが、アニメやマンガは芸術の域にとっくに辿りついています。優れた小説を読むのと同じくらい、美的感覚をくすぐられる作品はたくさんあります。目の前にいる人が挙げる作品の名前に興味すら持とうとせずに、批判する人たち。そこからいったいなにが生まれるのでしょう。

考えてみれば、知ろうともせずに偏見で批判するなんて、この上なく情けない話です。自分の無知を露呈しているようなもの。ただ、ぼくも無意識のうちに興味のないことを批判しているときがあるかもしれません。なにもわかっていない人に批判されるほど、理不尽で腹ただしいことはないので、本当に気をつけたいです。

ということで、今回は「偏見だけでなにかを批判するのは、違うんじゃないか」でした。

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