誰も花見という名の飲み会(リア充イベント)に誘ってくれない

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ふとFacebookのタイムラインを覗くと、花見で楽しそうに写ってる写真が上がっていました。下にスクロールしていくと、他にもちらほら。しかも、みんな自分でポストしてるわけではなく、タグ付け。

うらやましい。タグ付けというところが、さらにうらやましい。リア充アピールしようと自分で写真を上げてないから、より自然にリア充感を醸し出せる。その威力は計り知れない。

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リア充イベント盛りだくさんの日本

カナダに住んでる頃はそこまで意識してなかったのですが、日本に帰ってくるとなぜか意識してしまう自分の非リア充感。特にリア充であることに強い憧れがあるかと言われると、そうでもないような気がします。

それでもリア充な写真を目の当たりにしてしまうと、なんだかもやもや。カナダにいてもFacebookにBBQや夏祭りの写真は流れてきました。ただ、「ぼくは日本にはいない」という認識からか、遠くから平然と見ることができました。

一方、日本に帰ってきてからは、なぜか平静を保ってられない。どうしてだろう。たぶん、自分が日本にいることでみんなの写真がより身近なこととして感じるようになったから。

ついこの間も、バレンタインデーとホワイトデーがありました。これからは夏祭りや花火に海水浴。秋には紅葉。そのすぐあとにはクリスマス。もっと日々のところだと、ライブやディズニーランド。考えてみると、日本はリア充イベントが盛りだくさん。

SNSがぼくたちに与えてくれたもの

FacebookやInstagramのような写真がメインのSNSは、これまで見ることができなかった他人の日常の一コマを、「共有」や「繋がり」という美しい言葉とともに提供してくれました。

でも、それは見なくてもよかった他人の日常が、半ば強制的に目に入ってくることをも意味します。SNSがなかった頃なんて、偶然街で見かけるか、後から話を聞かない限り、他人が普段どうしてるかんてわかりませんでした。

それが今では写真とともに日々誰かの日常が更新されます。また「いいね!」やコメントの量で輝きはさらに増します。

この傾向は今の10代の間ではますます強く、カップルでいちゃいちゃしてる動画まで平気で上げている人たちがいます。なので、今の若い子の非リア充感は、ぼくが学生だった頃とはまったく違うものになっているのでしょう。

まとめ

今日の東京なんて曇りときどき雨で気温も低いのに、花見に行ってる人がいますからね。リア充の人たちはこういうイベントに対するは勢いが違います。

ぼくなんか土曜日だっていうのに、こたつで「パン語辞典」っていう本を寝転びながら読んでました。寒い日はこもるに限ります(笑)

ということで、今回は「誰も花見という名の飲み会(リア充イベント)に誘ってくれない」でした。

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